完全なる自己満始めます#長い

先日ヨーロッパに出張行った。

 

 

まあ酒を飲んで飯食うのがメインだったんだけど何より思ったのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっべ、全然英語分かんなくなってる。。。」

 

 

 

 

 

 

 

別に出来なきゃ出来ないで良いとも思ってる。英語が出来なきゃいけない!なんて言われて久しいが、いつの時代も求められるものは変わるし、変化の激しい時代に英語というツールの賞味期限は近いのかなー、なんて思っているので。

 

ただ俺は趣味に使うので、出来ないと趣味が少し楽しめなくなる。

よって少しは出来ないと困る。

 

けど、語学なんて使わないと使ってナンボだし、使う機会がいつもあるわけではないので、まずは趣味程度に翻訳ごっこでもやろうと思う。

 

何を題材に書こうか、と思ったが、やはり俺が英語を勉強したいのは外国のスポーツが好きだからなので、彼らの言葉を日本語にして伝えたい。

 

そこで主な題材は「Player's tribune」(ざっくり言うと選手本人が自分で書きたいテーマについて書くメディア。超雑に言うと自分語りとも取れるかも。元ヤンキースのキャプテンにして伝説のショートであるデレク・ジーターが創設)から俺の超絶低クオリティな翻訳をお届けしたい。

 

第1回は、俺の大好きなリバプール監督のユルゲン・クロップの記事で

   Maybe I Am Dreaming

少し恥ずかしい話から始めなきゃね。だって自分は時々不安になるんだ、世界中の人々がフットボーラーや自分たち監督のことを神や何かのように見ているんじゃないかって。クリスチャンとして、私は神を唯一無二のものとして考えている。間違いなく神はフットボールに関係ない。実際問題、私たちは皆よく間違いを犯す。私も若い時は多くのミスを犯したものさ。

 

次に話すのはそのミスのうちの1つだ。

 

話を2011年に戻そう。我がボルシアドルトムントバイエルンミュンヘンと戦っていた。ドイツではとても大きな試合だ。ミュンヘンでは20年くらい勝っていなかったんじゃないかな。

 

私は普段映画からインスピレーションを得る人間なんだ。だから選手たちを鼓舞したい時はいつもロッキーバルボアのことを考える。

 

個人的な意見だが、世界中の学校でロッキーシリーズを教材にするべきなんだ!まるでアルファベットを学ぶくらい当然であるべきなのさ。

もしあの映画を見て山頂に登りたいと思わないのならば、きっと君には何か問題がある。

 

まあそんなこんなで、バイエルンとの試合前にはミーティングのためにチーム全員を集めた。選手たちは皆座り、電気は消されていた。そんな状況で私は彼らに真実を伝えた。

ドルトムントが最後にミュンヘンの地で勝った時、君たちのほとんどはまだおむつをはいていた」

 

それから私はロッキー4のシーンをいくつか見せた。1つはイバンドラゴとの名シーン。とてもクラシックだ。

 

ドラゴはランニングマシンを走り、コンピューターに繋がれ、科学者たちが彼を精緻に調べている。覚えているかな?

私は選手たちに言った

「分かるかい?バイエルンミュンヘンはイバンドラゴだ。全てが素晴らしい。最高峰の科学技術。最高のマシン。止めようがないのさ!」

それから次にロッキーのトレーニングを見せた。シベリアにある小さな木造部屋の中で行われているトレーニングをね。パインツリーを切り落とし、雪の中、その木材を運びながら山のてっぺんまで走るんだ。

それから私は選手たちにこういった

「いいか、これが私たちだ。私たちはロッキーだ。ちっぽけな存在かもしれないが、大きな情熱がある。王者の心を持ち、不可能を成し遂げることだってできるんだ!」

 

そんな調子で私は話し続けた。そんな時にふと選手たちの反応を見てみたんだ。私はてっきり彼らは椅子を立ち上がり、シベリアの山を狂ったように駆け上がる準備でもしてんのかと思ったんだ。

 

けど実際はそこに座っていただけだった。不思議そうな目で私を見つめながらね。

完全になんのことだか分かっていなかったんだ。

彼らは「この男はなんの話をしているんだ!?」といった調子で私を見ていたよ。

それから気づいたんだ『待てよ。ロッキーはいつの映画だ?80何代だったか?彼らはいつ生まれてるんだ?』

 

最終的に「よし、ロッキーバルボアのことを知っている者は手を挙げてくれ」と聞いてみた

 

...

 

 

 

 

 

 

 

 

2人しかいなかった。

 

残りの選手は皆、「分からないな、申し訳ないボス」

 

私のスピーチは全くナンセンスだったんだ。シーズンで1番大事な試合前で、何人かの選手にとっては人生で最も大事な試合かもしれないというのに!それなのに彼らの監督ときたら最後の10分はソ連の科学技術とシベリアについてしか話してないんだ!信じられるかい?

 

まあそんなこんなで一から話を始めなきゃいけなくなったんだ。

 

分かったと思うけど、これは実話さ。人生において本当に起きた出来事だ。

 

私たちは人間だ。時々、自らを恥じることだってある。人生とはそういうものなんだ。フットボールの歴史に残るようなスピーチをしたと思っていても、実はまったくもってナンセンスなスピーチだったりする。しかし翌日には再び起きて進んでいくものなんだ。

 

この話における最も奇妙なポイントは分かるかい?

 

正直言うとその試合に関して勝ったか負けたかは確かじゃないんだ。確かなのは3-1でミュンヘンの地で彼らを打ち負かした前日に私がそのスピーチをしたことがその話をより良い話にしてくれていると言うことだ。まあ勝敗は確かではないんだけど!(多分、フットボールや人生において大事なのは勝ち負けではないということを言っている)

 

これは人々には理解できないフットボールの特徴の1つだ。

 

結果に関しては忘れてしまう。いろいろな結果がごちゃごちゃになってしまうんだ。

 

だが、選手たち、あそこでの時間、上記のちょっとした小話、私は決してそれらのことを忘れないだろう。

 

FIFAの最優秀監督賞を受賞できたのはとても光栄だ。けど本心を言わせてもらうと私1人でトラフィーを持ち壇上に立つというのは好ましいシチュエーションではない。フットボールにおいて私が成し遂げてきた全てのことは周囲の人の支えがあってこそなんだ。それは選手だけでなく、家族、子供たち、私が全く持って平均的な人間だった時からそばにいてくれた人たちだ。

 

20歳の時に誰かが私の元にやってきて将来私が成し遂げることを伝えられたとしても私は信じなかったに違いない。もしマイケル・J・フォックスがホバーボードに乗ってやってきて未来に起こることを伝えてくれたとしても、私は『そんなことはあるはずがない!』と言っただろうね。

 

20歳の時に、私の人生を大きく変える出来事が起こった。私自身はまだまだ子供だったが、私は父になったんだ。正直に言うと、良いタイミングではなかったね。私はまだアマチュア選手だったし、練習と大学生を両立していた。

学費を払うために映画のビデオを保管してる倉庫で働いていた。若い人のために言っておくと、DVDではないよ!これは80年代の話で、当時は全部がフィルムに収められてたからね。毎朝6時にビデオを集荷するトラックがやってきて、私たちと巨大な鉄との戦いが始まる。とても重くてね、いつだってそれがBen-Hurみたいな巨大な4つのリールで巻かれた何かでないことを祈ってたものさ。もしそうだったらそれはとても運の悪い日さ。

 

毎晩5時間寝ていた。それから倉庫で働き、終わったら学校に行き、夜はフットボールの練習だ。家に帰れば子供と過ごす。とても大変な時間だったが、人生というものを教わることが出来たと思う。

 

若くしてとても真面目にならざるを得なかった。私の仲間がパブに飲みに行こうと誘ってきて、全身が『うぉ!めっちゃ行きてぇよ!!』と言う。しかし、行くことは出来ない。既に自分だけの人生ではなかったからね。自分がどれだけ疲れていて、昼過ぎまで寝ていたいと思っても、子供にとってはそんなの関係ないんだ。

 

自分の子供の将来を危惧する時、それは本当に大変な心配事だ。ピッチ上で起きるフットボールの出来事なんてとても比べることは出来ない。

 

時々人々は私になぜいつも笑顔なのか尋ねてくる。たとえ負けた後でも時々私は笑っているからね。理由としては、そうだね、子供が生まれた時かな、気付いたんだよ。フットボールなんて生きるか死ぬかではないということにね。私たちの仕事は命を救うことなんて出来やしない。フットボールは悲しみや憎しみを与えるようなものであってはならないんだ。フットボールはインスピレーションや喜びで包まれてなくてはならない。特に子供にとってね。

 

私はこの小さなボールがどれほど多くの選手たちに力を与える事ができるか見てきた。私の選手たち、サラーや、マネ、フィルミーノ(みんな激貧からクロップの元で世界最高峰の選手に上り詰めた選手たち)の様な選手たちのこれまでの旅はとても信じがたいようなものだ。

私が若い時にドイツで直面した危機なんて、彼らが乗り越えてきた苦難ととても比べようがない。彼らにとって諦める事は簡単なはずだったが、彼らはそれを拒み続けたんだ。

 

彼らは神ではない。単に夢を諦めなかっただけだ。

 

私の考えだが、フットボールの98%は失敗への対処だ。それでも私は笑っていられるし、翌日にはその中で喜びを見つけることが出来る。

 

かなり若い時期の失敗から私は学んできたが、最初の1つはとても忘れられない。2001年に選手として10年間プレーしていたマインツの監督を引き継ぐことになったんだ。問題は全ての選手たちが依然として友達だったことだ。一晩が過ぎ、監督は私でも彼らは私のことを「クロッポ!」と呼んでいた。

 

最初のメンバーの発表をする時、(ホテルで)1人1人の部屋に行き顔を見て話すのが唯一正しいことと思っていた。

 

しかし、これはとても嫌なものだった。私たちのホテルはツインルームだったんだ。

 

想像してみてくれ。最初の部屋に入り、選手たちはベッドに座っていて、私は1人の方を向き「君は明日先発だ」と言う。

そしてもう一方の方を向き、「残念だが、君はベンチスタートだ」と言う。

 

控えの選手が私の目を見て、「クロッポ、、何でだ?」と聞いてきた時、どれほど辛いやり方だったか気づいた。

 

大抵の場合、そうした質問に正しい答えはない。唯一言えることは「私たちは11人しか先発させることは出来ない」だ。

 

残念ながら、私はこれを8回かそれ以上やらなきゃいけなかった。ツインルームに泊まる18人の選手たちそれぞれの部屋に行き「君は先発。君は違う」ってね。

 

そして毎回、「クロッポ、何でだ?」さ。

 

ハハハ!なんて耐え難いことだったか!

 

監督としてたくさん涙を流してきたが、それが最初の1つさ。そうした時何が出来るのか?ティッシュを掴み取り、涙を拭き取り学ぶしかないんだ。

 

もし君が未だに私を信用できないならこれを考えてみてくれ。

「なお、監督としての私の最大の成功災害から生まれてきたことだ」

 

チャンピオンズリーグの舞台でバルセロナに3-0で負けたことは考えられる限り最悪の結果だった。2ndレグに向けて準備する際、私のスピーチはとても前向きなものだったよ。この時はロッキーの話をしなかったけどね!ほとんど戦術の話さ。しかし真実も伝えたんだ。「我々は世界最高峰のストライカー2人を欠いて戦わなければいけない。(この時スリートップのうちの2人、サラーとフィルミーノは怪我で欠場)

世界中の人々は不可能と言うだろう。正直に言って、ほとんど不可能なことだ。けど君たちならどうだろう?そう君たちなら、我々にはチャンスがある。」

 

本気でそう信じていた。フットボーラーとしての彼らの能力の問題じゃない。人間として、どんな人なのか、そして彼らが人生において打ち破ってきたもの全てがそう思えた理由だ。

 

私が付け加えたのは1つだけ。

「どうせ負けるなら、最も美しい散り方をしよう」

 

当然、言うのは簡単さ。私はタッチラインから叫んでるだけなんだからね。選手たちにとって実行するのは本当に大変なことだった。

しかし選手たちの、アンフィールドに集まった54000人の観客の力で、私たちは不可能を成し遂げた。

 

フットボールにおける美しいことは、1人では何もできないということ。何1つとしてだ!信じてくれ。

 

不幸なことに、チャンピオンズリーグの歴史において最も印象的な場面を私は見逃してしまった。これはフットボールの監督の人生としていいメタファーかもしれないね。まあ分かんないけど!しかし私はアーノルドが美しい才能を放った瞬間を本当に見逃してしまった。(コーナーキックの際にバルセロナの選手の守備の準備が整う前にボールを蹴り込み決勝ゴールをアシスト)

 

私が見たのはボールがネットの隅に突き刺さった瞬間だ。

 

コーナーの前にアーノルドがボールを取り、シャキリコーナーキックを蹴るべく向かっていたのを見た。

 

ここで私は目をベンチに向け、交代の準備をしようとした。アシスタントに話しかけ、、そして、、分かるだろう?その時のことを考えるといつだって鳥肌が立つ...私は歓声しか聞こえなかったんだ!

 

ピッチに目を向けると、ボールがゴールに入っていた。

 

そして言ったよ「どうなってるんだ!」ってね。

 

アンフィールドは完全に狂い切っていた。アシスタントの声がほとんど聞こえないから、彼は叫ぶように「交代はしますか!」と言っていた。

 

ハハハハ!私は彼の言葉を忘れないよ!いつだって私と共にあるものだ。

 

想像できるかい?監督として18年、何時間もこのゲームを見てきたのに、私はフットボールの歴史において最もトリッキーな場面を見逃したんだ!その夜以降、(アーノルドのアシストを受けた)オリギのゴールを50万回は見直したさ。だが、現実はボールがネットを揺らしたのを見ただけだ。

 

試合を終え家に帰った時、ビールさえ持っていなかった(クロップはビールが大好き。さすがドイツ人)。1杯の水を持ち、静かな部屋で微笑みながら座っていただけだ。

 

その時の気持ちはとても言葉にする事が出来ないものだ。

家に帰った時、家族と友人達が皆集まり完全にパーティーの雰囲気だった。けど私は精神的にも疲れ切ってしまい、1人でベッドへ向かってしまった。心身共に空っぽだったのさ。

 

それは人生最高の眠りだった。

 

最高の瞬間は翌朝起きて「現実だ!本当に成し遂げたんだ!」と気づいた時だね。

 

私にとって、フットボールとは映画以上に刺激的な唯一のものだ。朝起きて、魔法が現実だったと気づく。本当にドラゴに勝ったのさ!本当に起こったんだ!

 

この事を6月のCL優勝パレードをリバプール市内で開催して以降考えてきた。その日の感情はどう言葉にすればいいんだろう?バスに乗り、「もう終わりに違いない、リバプール市内にこれ以上人がいるはずないさ」なんて思いながらね。けど角の方を向くと、パレードは続いていた。本当に信じられないようなことだった。

もしあの日の感情、興奮、愛情を空気中に放ったり、押さえ込んだり出来るようならば、世界はもっと良いものになるだろうね。

 

あの日、私の頭の中に浮かんだ感情はこれまで経験してこなかったものだった。フットボールは私に全てを与えてくれた。けど私はより多くのことをやり遂げ、世界に還元したい。「OK、当然のことさ」なんていうのはとても簡単なことさ。けど実際にどうやっていけばいいだろうか?

 

過去数年、私はファン・マタマッツ・フンメルス、ミーガン・ラピノエらが行なっているCommon Goal運動にとても感動している。もし彼らの活動を知らないならば、信じられないよ!120人以上のフットボーラーが収入の1%をNGO団体に寄付しているんだよ。彼らの活動は既にアフリカなどの地域の若い世代のフットボーラーの大きな助けになっている。

 

これは何も裕福な選手達だけの活動ではない。女子サッカーカナダ代表のスタメンもこの活動に参加しているし、日本やオーストラリア、ケニアポルトガルの選手達もだ。

どうして刺激を受けずにいられようか?これこそまさにフットボールのあるべき姿なんだ。

 

私もこの活動に参加したくてね。わたしも収入の1%をコモンゴールに寄付している。世界中のより多くのフットボール界が続いてくれるといいな。

 

正直に言おう。私たちはとても恵まれている。

世界中でチャンスを待っている子供達のために、その活動を行うことは権利ある立場としての責任なんだからね。

 

私たちは自分たちが辛かった時のことを忘れてはならない。私たちが住んでいるこの泡の中は現実の世界ではない。ごめんね、けどフットボールのピッチ上で起こることなんて本当の問題ではないんだ。このゲームにはお金や勝利以上に大切なものがあるべきなのさ。違うかい?

 

考えてみてくれ。私たちが1つになり、みんなが収入の1%を寄付した時に世の中にもたらす変化で何を成し遂げることが出来るのか。

 

ひょっとしたら私はナイーブかもしれないし、良い年をして狂った夢を見てるのかもしれない。

 

しかし、このゲームは誰のためにあるのだろう?

 

分かっているだろう。夢を追う人たちのためにあるのさ。

 

ユルゲン・クロップ

 

元記事:https://www.theplayerstribune.com/en-us/articles/jurgen-klopp-liverpool-fc