翻訳ごっこその2

とりあえず続けられる限りは続けて行こうと思うので、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は日本がW杯でも対戦したセネガル代表DFカリドゥ・クリバリが書いた

 

   「We Are All Brothers

僕が思うに、子供達は大人以上にこの世の中のことを分かっている。特に他者との関わりということに関してはね。

 

 

 

時々人々は取材において僕に「カリドゥ、人種差別が君に向けられた時どう感じてる?辛いかい?どう対処するべきかな?」なんて聞いてくるけど、正直答えるのはとても難しいんだ。

 

 

 

個人的な意見として、経験してみないことには到底理解できないものだ。とても残念なことだし、それについて話すのは辛い。けど、ここでは何とか伝えられる様に努めてみるよ。なぜならこれを読んでる子供達に分かってほしい大事なメッセージが込められているから。

 

 

 

しかし最初に私は憎しみについて話さなければいけない。

 

 

 

私がフットボールにおいて差別を初めて受けたのは数シーズン前のラツィオ戦だった。僕がボールに触るたびにファンがノイズを立てるんだ。けど、僕は理解できてなかったのかもしれない。ボールが途切れた時、僕はチームメイトに聞いてみたんだ。

「彼らは僕に向けてのみやっているのか?」

 

 

 

試合は続き、ラツィオのファンは僕がボールを触るたびに猿の鳴き真似をしていることに気づいた。

こんなことになるなんて思いもしなかったさ。

文句を言うために、試合中ではあったが何度かピッチを去ろうとすら思った。

だが、それでは連中の思うツボだ。

こんなふうに自分自身に語りかけたのを覚えている。

「なぜ彼らはこんなことをする?僕が黒人だから?この世界で黒い肌を持つことは異常なことなのか?」

 

これまで何千回もしてきた様に、僕は自分が愛するゲームをしていただけなんだ。とても傷ついたよ。酷く侮辱されたんだ。正直言って、自分自身を恥じる時期だってあったくらいだ。

 

しばらくしてから主審のイルラティが試合を止めて僕の方は駆け寄りこう言ったんだ

「カリドゥ、僕は君の味方だ。心配しないで。このチャントをやめさせよう。もし君が試合を止めたくなったら、いつでも教えてくれ」

 

 

とても勇気ある行動だったと思う。だけど僕は彼に試合を最後までやりたいと伝えた。彼らはファンの方に話し、その3分後、試合は再開した。だけど、そのチャントが止まることはなかったんだ。

 

試合を終え、ロッカールームは歩いている時、とても怒りに満ちていたよ。しかしそれから大事なことも思い出したんだ。

試合前、僕の手を握り共にピッチへ入場するマスコットボーイがいた。僕のユニフォームが欲しいと頼んできてね。試合後にあげると約束したんだ。そこで振り返り彼を探した。スタンドの中に彼を見つけユニフォームを渡すと、彼はなんて言っていたと思う?

「こんな事が起きちゃって本当にごめんね。」

 

 

これはとても僕に影響を与える出来事だった。この少年は僕が知りもしない多くの大人がした愚行のために誤っているんだ。彼にとっては初めて(差別について)考える機会だった、そんな感じがする。

 

彼にこう伝えた「気にしないでくれ。ありがとう。チャオ」

 

 

これが子供の心の持ち方であり、現在世界中で失われているものだ。差別というのは何も肌の色を原因としたものだけじゃない。何人かのファンは僕の仲間にも何か言ってたよ。

セルビア人選手に対しては「ジプシー!(ヨーロッパに散在する少数移動型の民族のこと、差別用語」といい、イタリア人であるインシーニェに対してですら「クソ野郎のナポリタン!」と言っていた。

 

 

私たちはより良くなる必要がある。何か起きた時、クラブは何かしらの発表をする。しかし、それはまた起きる。イングランドではどれだけ良くなったことか。差別行為を行った人間が特定されると、その人は2度とスタジアムに来ることができないんだ。いつかはイタリアでも同じようになることを僕は強く望んでいる。

 

しかし同時にそんな愚かなことをしてしまう人々のことを考えることもある。

どうすれば彼らを変えられる?どうすれば彼らに伝わる?ってね。

 

 

僕は答えを持っていない。自分の物語を伝えるしかないんだ。

 

 

多分、人々が僕のことを見て思うのはフットボーラー、もしくは黒人フットボーラー、その程度だ。だけど僕はそれだけじゃない。

いつだって親友達にはこう伝えてきた、「もし君たちが僕のことを『リトルカリドゥ』と言った調子や、友として見ずに、フットボーラーとして見るようならば、僕の人生は失敗だったようってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はフランスのサンタ=ディエという街で育った。多くの移民がいる街だ。セネガル、モロッコ、トルコなどのね。僕の両親はセネガルからやってきた。実際には父が最初にやって来たんだ。彼はlumberjack(木材を切る人)だった。真のFrench lumberjackさ。彼らは本当に存在する。けど、職を得る前は紙も持たずにフランス

へやって来て繊維業で働いていた。週に7日だ。土曜も日曜もない。その生活を5年間続けたおかげで十分なお金がたまり、母をフランスへ連れてくる事ができた。そして最終的に僕、リトルカリドゥが生まれたというわけさ。

 

 

僕の母は初めてセネガルは戻った時のことを話すのが好きでね。僕は当時6歳で少し不安だった。祖父母や従兄弟に会うのは初めてだったし、世界の別の部分では人々はこんなふうに暮らしているのかと少しショックを受けた。子供達は皆、裸足で外を駆け回りフットボールをしてて、少し混乱しちゃったんだ。

 

 

母の話によると、僕は彼らの靴を買ってあげようって頼んだらしいんだ。そうすれば僕も彼らとプレー出来るって。

 

 

だけど母は言ったんだ。「カリドゥ、靴を脱ぎなさい。彼らのやり方に従いなさい」

 

 

最終的に、僕は靴を脱ぎ捨て従兄弟たちとフットボールをやった。こここそが僕のフットボールストーリーの始まりなんだ。フランスに戻った時、僕の家の近くの公園で毎日フットボールをやった。移民がとても多い地域だったから、セネガル対モロッコ、トルコ対フランス、トルコ対セネガルといった感じでやってたよ。

 

それはまるで毎日がW杯のようだった。

 

これは近所の人々の...

んーなんて言えば伝わるんだろう?

もし母が何か必要としてたら、最初に行くのは雑貨屋じゃないんだ。まずは近所の人に頼むのさ。ドアは1つして閉まっていない。理解出来るかい?友達の家に行く時は「やぁ、モハメドはいる?」って調子さ。

 

そしてモハマドの母は「いないよ。出かけてるんだ。プレーステーションをやりに来たのかい?」ってね。

 

分かったろうけど、僕の家にはプレーステーションはなかった。だから靴を脱ぎ捨て、まるで自分家であるかのようにくつろいでいた。歓迎されてることを強く感じていたよ。

 

もし彼女(モハメド君の母親)が「カリドゥ、パンでも買ってきて!」とでも言えば僕は彼女の息子のように店に行く。

 

こんな環境で育てば、君には周りの人が全て家族に思えるものだ。私たちの中には黒人、白人、アラブ人、アフリカ人、ムスリム、クリスチャンがいた。けど、僕たちは皆フレンチだ。もしお腹が空いていたら、皆でトルコ料理でも食べに行こうってね。もしくは皆で僕の家に行ってセネガル料理を食べようか。僕たちは皆違う、だが、皆平等だ。

 

2002年のW杯の時のことは今でも覚えているよ。フランス対セネガルの試合があったんだけど、僕たちは学校に行かなきゃいけなかったんだ。日本で試合があったんだけど、時差があったからね。僕たちは皆休み時間に外に行き、まるでW杯決勝のようにプレーをしたんだ。それでもその後は教室に戻り勉強しなきゃいけなかった。

 

とてもがっかりだったよ。

 

試合は午後の2時からだった。

 

1時59分に先生が言った「さあ!皆教科書を開いて!」

 

僕たちは皆教科書を開いた。皆夢を見ているような感覚だったけどね。誰1人教科書を読むことなんて考えていない。僕たちが考えていたことといえば、アンリ、ジダン、ディオフ、、と言った感じさ。

 

2分、3分と時間が経ち、先生が突然言ったんだ。

 

「よし皆!教科書を閉じろ!」

 

僕たちは皆、「どうなってんだ?何言ってんだ?」ってなっちゃったよ。

 

彼は「これから教育系の映画を見ます。とても退屈だと思うけどね。」

 

それから彼は少し離れ、小さな教室のTVをつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランス対セネガルさ。

 

「秘密だから、いいね?」と彼は言った。

 

それは僕の人生における最も美しい瞬間だったといえる。クラスメートは25人、トルコ人、モロッコ人、セネガル人、フランス人...

だが、僕たちは皆一緒だ。

 

今でもはっきり覚えているよ。セネガルが勝った後、家に帰ったら友人のセネガル人の親達は皆通りで踊り狂っていたことをね。それから、あまりに皆幸せそうにしてたもんだから、ついにはトルコ人やフランス人も一緒になって踊っていた。

 

この思い出は僕の心に強く残っている。何故ならこれこそフットボールだ。これこそ僕の家族達(原文はneighborhoodだが、ここで近所と訳すのは違和感あるので家族と訳す)なんだ。

 

君は人生において全てを持っているとする。お金を持ち、かっこいい車も持ってるとしよう。

だが、この世界にはどうやってもお金で買えないものが3つだけある。

友情、家族、平穏だ。

 

これらは人生において何よりも大事なことだ。

 

絶対に買うことは出来ないこと、これらこそ僕が子供達にもっとも伝えたい大事な教訓だ。これこそ両親が僕に教えてくれたことだ。彼らは僕のフットボール生活なんて気にしていなかったよ。全くもってね。

 

 

両親は一度も僕の試合を見に来たことがない。お父さんが1回だけあるかな。お母さんは1度もない。だけど、彼らは時々TVでやってる大きな試合を僕と一緒に見ていたんだ。ならばと思い、彼らをスタジアムに連れ込んでやるぞって強く心に留めるようになったよ。

 

TVに映らなきゃいけない、そうすれば彼らは見てくれる。

 

 

メスのトップチームに呼ばれた時のことは2度と忘れないよ。TVで放送されてることは知っていた。僕は控えとして終盤に出場したんだ。だから試合後にはすぐに「母さん!見てくれたかい?喜んでくれたかな?」って電話したんだ。

 

けど彼女は「喜んだかって?だってあなたはいつもフットボールをしてるじゃない?普通のことでしょ。それはあなたの好きなこと。今日あなたはTVに映った。それは良いことかもね。」

 

 

彼女に悪気はなかった。そういう人柄なんだ。彼女にとっては子供の時に僕がプレーしてたことと何ら変わらない。ひょっとしたら人にやってはこうして見るのが良いのかもしれないね。フットボールは人々を繋ぎ合わせる、そうだよね?フットボールは僕を世界中に連れて行ってくれた。ベルギーのヘンクに行き、それからイタリアのナポリだ。おかげで多くの言葉を学び、多くの人々に出会うことが出来た。

 

ある言葉がある。「もし全ての言語を操れれば、君には全てのドアが開かれる」

 

嘘をつくつもりは全くないよ。僕は自分の価値観を他の人々に押し付けたり地域で貫くのは良くないことだと思ってる(うまく訳せんけど、まあ郷に入りては剛に従え的な?)

ナポリに来る前、僕はとても不安だった。イタリア語も分からなかったし、マフィアや犯罪についてなどの悪い噂も聞いていたからね。行ったこともないから、それらの噂が本当なのかどうかすら知らなかったんだ。

 

実際にあったことで、とても面白い話がある。

 

僕がベルギーのヘンクでプレーしていた時、チームメイトのアーメドが僕の家に来て数日間泊まることになっていた。

彼を待っていると知らない番号からの電話が鳴ったんだ。

 

英語でこう答えたよ「こんにちは。どちら様ですか?」

 

声の主は「やあ、ラファ・ベニテスだ」(リバプールレアル・マドリードの指揮官も務めた名指揮官)

 

僕言ってやったよ「アーメド、ふざけてないで早く来いよ。僕はずっと待ってるんだぞ」

 

そして電話を切った。

 

そしたらまた電話が鳴った。

 

「アーメド、やめるんだ。ここにいるから。いつ着くんだい?」

 

「やあ、ラファ・ベニテスだ」

 

僕は電話を切った。

 

それから代理人から電話があったので電話に出た。

 

彼は「カリ、元気か?ナポリ監督のラファ・ベニテスから電話はあったかな?電話するって言ってたから」と言った。

 

「何だって!冗談だろ!?たった今電話が来てたよ!友達の冗談かと思って切っちゃったじゃないか!」

 

それから代理人がラファに電話をして事情を話し、ラファは再度かけ直してくれた。僕は何事もなかったかのように電話に出てやったよ。

 

僕は「やあラファ!ハロー!ボンジュール!オラ!ハロー」ってね。

 

彼は「やあカリドゥ、英語で話したほうがいいかな?」

 

僕は「あなたの好きな言語で」って返した。

 

結果的にはフランス語で話したけどね。

 

 

彼は色々聞いてきた。彼女はいるのか、パーティに行くのは好きか、ナポリの街や選手のことは知ってるか?みたいなことをね。

 

「ええと、ハムシク(ナポリのレジェンド)は知ってるよ!」

 

実際は街も選手も何も知らなかった。けどラファ・ベニテスのことは知っていた。彼のいう言葉全てが印象的だった。

 

電話を終え、代理人に電話をした。

「何だってやってくれ。ナポリに行く」

 

冬の移籍市場が閉じるまで48時間しかなくて、結局移籍は成立しなかった。けどラファは本気だった。彼は僕を夏の移籍市場で買ってくれたんだ。

メディカルチェックに着いた時、とても緊張していたよ。僕は全くイタリア語が分からなかったからね。途中で会長のディ・ラーランティスにも挨拶をした。

 

そしてこの出来事こそがナポリという街とクラブを表していると思う。

 

彼は愉快な感じで僕を見つめ、「やあ、君がカリドゥかい?」と聞いてきた。

 

「えぇ、そうですよ」

 

「しかし君はそんな大きくないな。192cmあるはずじゃなかったのか?」

 

「いやいや、僕は186cmしかないですよ」

 

「クソ!どこを見ても君は192cmと書いてあるじゃないか!今すぐヘンクに言って返金してもらわないと!」

 

「いえ、会長。払ってください。足りない分の身長はピッチ上で全てお返ししますから、心配せずに」

 

彼はこの言葉を気に入ってくれたらしく、「分かった。ナポリへようこそ、カリドゥ。ようこそ」

 

メディカル後にラファとランチへ行ったんだが、何よりも先に彼がやったことは他のテーブルのワイングラスを全て取ることだった。

彼はそれらをテーブルに置き、各地に滑らせるようにして置いた。

「何してるんだ?狂っているのか?」と思ったよ。

 

彼は「OK。これから君に戦術をお見せしよう」

 

ウェイターがやって来て、彼はグラスをテーブル全体に置き直した。「これが私たちのプレーの仕方だ。君はここにいる。それからここへ行く。分かるかい?今すぐに2つのことを理解しなければいけない。これらの戦術と、イタリア語を学ぶことだ」

 

「分かったよボス、分かった」

 

少しの休暇から戻った時、ラファは僕を分析ビデオのある部屋に呼んだんだ。そして彼は僕に僕のベストプレー集のビデオを見せた。最高のパス、タックル、スライディングとかね。

 

彼は言った「これ、後これとこれ。」

 

僕は言った「良いプレイだよね」

 

彼は「ここではこんなことは絶対するな」

 

「けどボールを取り返してるじゃないか!」

 

言葉にするのは難しいけど彼が次に言ったのはざっくり言ってこんな感じだ。

「こんなんクソだ!君が強いから取り返せてるだけだぞ!もし相手が賢い相手だったら面倒なことになっている」

 

それから彼は違うビデオを見せた。とても退屈な、ありきたりなプレイ集さ。

 

彼は微笑みながら言ったよ。「これは良いね。これも、これもそうだ」

 

僕はこう返した「だけどボス、こんなんありきたりすぎるよ。」

 

それに対して彼は「そうだカリ。まさにそれなんだ」

 

このやりとりこそがここでの僕の経験したことの全てと言っていい。イタリアに着いた時、僕はとても子供だった。ここで僕はより良い選手になった。なぜなら良い戦術を学ぶことが出来たからね。ここでの戦術はとても細かいよ。けど何より大きなことは僕はここで家族を持ち、真のナポリタンになったということなんだ。

 

フランスに戻ったときでさえ、僕の友達は僕に「セネガル人」や「フランス人」とは言わない。彼らは「ナポリタンが来たぞ」っていうんだよ。

 

ナポリという街は人を愛している。その暖かさはアフリカを思い起こしてくれるものだ。人々は君を見下したりしない。近くにきて触れようとしてくれるんだ。彼らは話をしたがっている。寛容なんじゃない。ただ愛してくれている。近所の人は僕のことを実の子供のように見てくれている。ナポリに来てからというもの、生まれ変わることが出来た。本当に平和を感じることが出来ているよ。

 

ここでの最高の思い出は息子が生まれたことだ。その日のことは絶対に忘れない。なぜならそれこそがナポリという街を完璧に表すものだからね。

 

ある朝、僕の妻は産婦人科に行ったんだ。そして僕たちは夜にサッスオーロとの試合があった。ビデオ分析の時間に、僕の携帯が鳴り出した。いつもは電源を切ってるんだけど、妻が心配で仕方なかったからね。

 

彼女は5,6回電話をしてきていた。

 

その時の僕たちの監督はマウリシオ・サッリ。とても熱い人だったし、僕は電話に出ないようにしていた。最終的に(多分ミーティングかなんかが終わって)外に出て僕は電話に出て妻はこう言った

「早く来て!すぐに生まれる!」

 

すぐにサッリのもとへ行ってこう言ったよ「すまないボス!行かなきゃ!子供が生まれるんだ!」

 

けどサッリは「そんなのはダメだ。君が必要だ。本当に必要なんだ。」

 

「息子が生まれるんだよ、監督。何だってしてくれていい。クビにしてくれていいし、罰してくれてもいい。僕は行く」

 

サッリはとても苛立ってるようだった。タバコを何度も、何度も、何度も吸い考えていた。それで結局は「分かった。早く病院へ行け。けど今夜の試合には間に合うように。カリ、本当に君が必要なんだ。」

 

全速力で病院へ向かった。父になったことのない人には、この気持ちは分からないだろう。子供な誕生を見逃すことなんて出来るはずがない。昼過ぎに病院へ着いた。おぉ神よ、13時30分に小さかナポリタンは生まれた。

彼のことはセニと名付けた。間違いなく僕の人生最高の日だ。

 

午後4時になってサッリから電話があった。分かって欲しいんだけど...彼は狂っている!もちろんいい意味でね。本当に狂ってるんだ。

 

彼は「カリ、向かってるのか!?君が必要だ!本当に必要なんだよ!頼む!」

 

妻はまだ休んでたけど、彼女もまた僕を必要としていた。だけど僕はチームメイトのことも愛してるし、彼らをがっかりさせたくなかった。何より、僕はナポリというこの街を愛している。結局は妻からの慈悲を得らことが出来て、僕はスタジアムは向かった。それから試合の準備を進めていた。サッリがドレッシングルームへ来てメンバー表を置いていったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の名前はなかった。

 

 

 

 

僕は言ったよ。「監督!冗談でしょう!

 

彼は「何がだ?これが私の選択だ」

 

彼は僕をベンチに置いたんだ!

 

スタートすらさせなかった(ちなみに今のクリバリはDFで世界3番指に入ると言われているくらいの選手。デカくて速くて強くて上手い、まとめると化け物)

 

僕は言ったよ「監督!子供!妻!彼らを置いてここへ来たんだ!僕が必要って言ったじゃないか!」

 

彼は言った「そうだ。ベンチに君が必要だ」

 

ドラマみたいだけど、先発しなかったんだ。

 

今考えると笑えるよ。けど当時は泣きたくなったね。

 

きっと君はこれをネガティブに捉えるかもしれない。だけど僕にとっては、これこそがナポリを愛する全てなんだ。説明しなきゃいけないとしても、きっと理解出来ない。ジョークを説明しようとするようなもんだからね。この街に来ればきっと分かる。狂っているさ。けど、本当に暖かい。

 

少しは僕のことを分かってくれたかな?

 

そう、ぼくはフットボーラー。

 

黒人のフットボーラーだ。

 

だけどそれだけじゃない。

 

僕はムスリムだ。僕はセネガル人だ。僕はフランス人だ。そして僕はナポリタンだ。

 

そして父でもある。

 

これまで世界中に行ってきて言葉を学び、扉を開いてきた。幸運なことにお金を稼ぐ機会にも恵まれた。だけど僕が学んできた何より大事なことを再度君たちに伝えたい。

 

この世界には買えないものが3つある。

友情、家族、そして平穏だ。

 

これこそが僕がサンタ=ディエで学んできたことで、自分の子供に伝えたいこと。

 

多分僕たちはみんな違う、きっとそうだ。

 

だけど、僕たちはみんな兄弟なのさ。

 

カリドゥ・クリバリ

 

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(クリバリが人種差別を受けた後のチームメイトであるベルギー代表、ドリース・メルテンスのインスタグラム投稿。「お前は俺が知ってる中でも最高のやつの1人だ。そのまま変わらないでいてくれよ。クソ野郎の相手なんかするな。一緒に立ち向かおう!」)

 

 

 

元記事:https://www.theplayerstribune.com/en-us/articles/kalidou-koulibaly-napoli-we-are-all-brothers