変わらないもの
この前Twitterであるツイートを見た。
内容としてはまあ、「選択肢に溢れるこの世界では大抵のものは替えがきく。しかし愛するチームだけは変えられない。」
みたいな感じだ。
そんで昨日阪神ファンの友達と話しててその彼も言ってたのが「阪神の応援なんてストレスの方が多いけど、変えられるか?と言われると変えられない。そういうことじゃない」って言ってた。
確かに俺も日本ハムを応援してるけどストラスの方が遥かに多い。
弱いし。選手いなくなるし。遠いし。札幌に縁もゆかりもねえし。
しかしどれだけイラつこうと、失望させられようと、愛するチームだけは変えられない。
なぜならそれは理屈ではないから。
理屈というか、理由のある愛は替えがきく。
なぜならその理由が失われたら愛する理由を失ってしまうから。
大谷翔平を目的に球場に足を運び日本ハムを応援してくれてた人が今どれだけ球場にいるだろうか?
統計的データはないが、多分そんないないと思う。
そういう人たちにとっては来る理由がないのだから。
だが別にそういう人たちを批判する気は毛頭ない。そういう人たちをリピーターに出来ない球団の努力不足は批判されるべきであって、応援する理由がないのに球場に足を運ぶなんて時間と金の無駄もいいところである。
まあ少しそれたが、そう言った理由で大抵の人間にとって愛するスポーツチームは変えられない。
俺とか俺の周りの何かを応援してる人は小さい時から応援してる人がほとんど。小さい時の感情なんて理屈もクソもない。それが飽きずに続いたということは理屈や何かを超えたものを常に与えてもらっているということ。
らしくない表現だというのは重々承知だが、「普遍的な愛」というのはまさにファンとチームの関係なのだと思う。